「銀色の鹿だと!?」
稚武彦は驚愕の声を上げた。
「稚武彦様?何かご存知なのですか?」
幼馴染でもあり、乳兄弟でもあり、未来の義兄弟を目指している親友の佐和彦が、未来の義弟を振り返る。
「姉さんから聞いたことがある・・・・・・銀色の鹿には手を出してはならない、と」
稚武彦は、樹上の矢常彦に銀色の鹿の動向を注視するよう合図した。
そんな彼に、佐和彦がさらに質問を重ねる。
「な、なぜですか?手を出すとどうなるんです?」
稚武彦は声を落とし、姉の卑弥呼から聞いた銀色の鹿に関する伝承を口にした。
〜銀(しろがね)の毛並みを持つ鹿を怒らせてはならぬ・・・かの鹿、怒りしとき、その森に大いなる災いが降りかかるであろう〜
「お、大いなる災い!?」
いったいどんな恐ろしいことが起きるのか、佐和彦は想像が追いつかずともおののく心を自覚した。
「とくかく、これ以上奥に踏み込むと、銀色の鹿を怒らせてしまうかもしれない・・・・・・矢常彦、どんな様子だ?」
やや間があいて、樹上から応えが返ってきた。
「こちらの方をじっと見つめたまま動きません。この距離で、我々に気付いているかのようです」
「それはまずい・・・・・・皆の衆、引き返すぞ!ゆっくりとだ!」
落ち葉の積もる森の中、稚武彦班はなるべく音を立てないように、来た道を引き返した。
佐和彦は、銀色の鹿が追ってくるのではないかと、背後をちらちら見ながら歩いている。
緊張感高まる中、一行がようやく『御神木の森』から抜けようかというその時、巨大な影が、彼らの前方から怒涛の如く疾走してきた。
稚武彦は素早く身構え、猿のように樹上を移動していた矢常彦が、身軽に稚武彦の前に飛び降り、佐和彦はとっさに稚武彦の後ろに隠れた。
彼らの目の前で急停止したその巨大な影から、のんびりとした女の声が上がった。
「あら、稚武彦たち、こんなところまで来ていたの?」
「ね、姉さん!?」
巨大な影が、稚武彦の姉、卑弥呼の乗った輿だと知り、稚武彦の背後に隠れていた佐和彦が御前に飛び出した。
「卑弥呼様!この先は危険でございます!どうかお戻りを!」
”あなたのことは、命に代えてもお守りします!”と、言わんばかりの勢いだった。
「なぁに?何かあったの?」
稚武彦は、佐和彦を押しのけると、銀色の鹿に出くわしたことを説明した。
「銀(しろがね)の鹿が出たの?」
輿の薄布の向こうで、卑弥呼が身を乗り出す気配が伝わってきた。
「姉さんから、触れてはならないと聞いていたので、引き返して来たんです」
だから一緒にこの森から出ましょう、と稚武彦が続けようしたその時、卑弥呼が乗っている輿がゆらゆらと揺れ、静かに地面に下ろされた。
「ね、姉さん?」
稚武彦たちが固唾を呑んで見守っていると、輿の薄布が引かれ、中からひらひらとした、動きにくそうな衣装を身にまとった年齢不詳の美女が出てきた。
そして、
「私がハナシをつけてくるわ♪」
そう言って、卑弥呼は歩き出した。踊るような足取りで、足首に巻かれた鈴が軽やかな音色を立てる。
「ちょっ!姉さん!?」
稚武彦は慌てて止めようとするが、
「あなたたちは、後から来るだろう兵たちとここで待ってなさい」
卑弥呼は、伴った兵たちを、担ぎ手たちの疾走でぶっ千切って置き去りにしたこと告げると、薄暗い森の奥へと消えていった――――。
さて、この後、卑弥呼はどうなるでしょう?w