巨大な樹がある。付近のものたちはその巨木を、『御神木』として崇め奉り、畏怖のあまり、近くによる者はほとんどいない。
その『御神木』の前に、3つの影があった。
ひとつは、幾重にも枝分かれした雄々しい角を持つ銀(しろがね)の鹿。
ひとつは、黄金(こがね)色の毛並みをした、少々こぶりな熊。
ひとつは、流れる漆黒の髪をした人族の女性――――。
「それで?ほんとのお告げってなんだい?」
黄金色の熊――――プーさんが、自分専用の壷に入っている蜜を舐めながら言った。
「うん・・・それがね・・・・・・」
黒髪の女性――――卑弥呼がため息をつきつつ、もらった自分の壷の蜜には手をつけず、プーさんの壷に指を突き入れた。
「大変な内容なのかい?」
銀(しろがね)の鹿――――しろちゃんが、自分も蜜を舐めたいが、小さな壷には蹄が入らず、もじもじしている。
「大変って言うか・・・・・・気が乗らないっていうか」
卑弥呼は、蜜がべっとりとついた自らの指に喰らいつき、存分にその甘みを楽しんだあと、意を決したように話し出した。
「御神木にね、例のアレを捧げよっていうお告げなのよ」
「例のアレ?」
プーさんが眉間に皺を寄せる。
「アレっていうと・・・・・・アレか」
しろちゃんが―――鹿なのでわかりにくいが―――渋面になった。
「そうなの・・・アレなの」
森に入ったのはそのためであって、決して蜂蜜が欲しかったからではなかったのだ。蜂蜜はあくまでもついでだったのである!
「アレを捧げるには人手が足りんな・・・・・よし、森人(もりびと)を呼ぼう」
しろちゃんはおもむろに腰をあげ、御神木の周りの深い森に向かって吠えた。
「んじゃ、おいらはちょうどいい棒を探してくるよ」
プーさんは、これ以上、卑弥呼に摘み食いされないように、肩からさげていた鞄に蜂蜜の壷をしまって、御神木の周囲を回りだした。
「私も準備をしておくわ」
卑弥呼は懐から髪紐を取り出すと、長い黒髪を手早くまとめはじめた。
プーさんが、長さ2メートルほどの棒を見つけて戻ってきた頃、森の奥から森人(もりびと)と呼ばれるものがやってきた。そのものに向かって、卑弥呼が微笑みながら手を振る。
「やっほー、バブルスく〜ん」
「ウホウホホッ」
バブルスくんと呼ばれた森人は、卑弥呼の姿を目にしたとたん、嬉しそうに駆け出した。
「呼び出してごめんね、バブルスくん」
「ウホホホホッ」
「うん、そうね、会えて嬉しいわ」
「ウホホホホゥホホホッ」
2人―――1人と1匹?―――が和やかトークを楽しんでいるところに、しろちゃんが割ってはいる。
「ぁー・・・コホン!バブルス、お前を呼んだのは他でもない。卑弥呼がこれからアレをやる。お前も手伝いたまえ」
「ウホホホー!」
バブルスくんは、任せておけと言わんばかりに胸を叩いた。そして、小ぶりの樽の様な物をどこからともなく取り出し、地面においてその前に座り込む。
「ほらしろ、この棒のそっち側を角にひっかけてくれ」
しろちゃんは、プーさんが差し出した2メール長の棒の端を、右の角にひっかけ、棒が水平になるように腰を落とした。
「こっちの準備はできたぞ、卑弥呼」
棒のもう片方を持って立つプーさんが、卑弥呼に合図を送る。
「私も用意できたわ。それじゃ始めましょう」
髪を奇麗に纏め上げた卑弥呼が、きりっとした表情で棒の前に立った。
その頃、稚武彦は、暴走した佐和彦を追って森の中を走っていた。『御神木』までかなり近づいている。
「矢常彦!なんとか佐和彦の前に回りこめないか!?」
やはり猿のように樹上を飛んでいる矢常彦に向かって、稚武彦は怒鳴るように言った。姉である卑弥呼の言いつけを破りたくないと、必死なのだろう。
「佐和彦はかなり速いです。回り込むのは無理ですが・・・・タックルしてみましょう」
そう矢常彦が言うやいなや、前を走る佐和彦目掛けて、樹上から何かが降ってきた。その何かとは、当然、矢常彦である。
佐和彦は堪らず地面に押し倒された。男に押し倒されるなど、一生の不覚であろう。
「何をするんだ!矢常彦!私は卑弥呼様をお救いせねば!」
矢常彦の下で、ばたばたもがく佐和彦の脳天に、ようやく追いついた稚武彦が鉄拳を見舞う。
「この馬鹿者!姉さんは普通じゃないんだ!下手に動くとかえって足手まといになることだってあるんだぞ!」
姉の危機より、言いつけを守らなかった時のお仕置きを恐れて、稚武彦の顔面は蒼白だった。
「し、しかし!稚武彦様!」
なおも駄々をこねる佐和彦に、さらなる鉄拳を見舞おうとしたその時、矢常彦が人差し指を口の前に置き、鋭く静止した。
「シッ!お静かに!・・・何か聞こえます」
言われて初めて稚武彦は気が付いた。御神木の方から、なにやらリズミカルな音が、間断なく聞こえてくる。
「・・・・・なんだこれは?」
3人は目と目で会話をして、卑弥呼たちに気付かれないぎりぎりのところまで、御神木に近づくことにした。
もうこうなると、好奇心の方が勝る男3人――――。
幾つかの大木を抜けた後、ようやく御神木の根元が見える位置にやってきた。そうして、3人が目にしたものは――――。
♪ドンドコドンドコドンドコドンドコ♪
バブルスくんは、手首のスナップをきかせて、軽快に太鼓を打ち鳴らしている。
「ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!」
その太鼓の音と共に、しろちゃんとプーさんが合いの手を入れて、卑弥呼は、空中で水平に保たれている棒を、上体を後ろに反らせながら一歩、一歩、慎重に潜り抜けようとしていた。
卑弥呼が占ったお告げの真の内容は――――、
〜御神木に、リンボーダンスを捧げよ〜
で、あった――――。