「おもしろいじゃないか・・・くっくっく」
卑弥呼の作ったような低い声が響く。空間を見つめる目は鋭く、肉食の獣を想像させる。
「ひ・・・卑弥呼様・・・ご乱し・・・ぐぁぁ・・・」
卑弥呼の脚の下には、今まさに、思いっきり踏みつけられた佐和彦が無残な姿で気絶している。服はボロボロになり、壮絶な折檻が行われた様子を物語っている。
ここは、卑弥呼の公務に使っている部屋で、稚武彦以外の者がここに踏み入っているのは珍しいことだった。
高い天井とだだっ広い部屋だが、物の量が半端ではない。
壁際に木で作られた書物が乱雑に詰まれ、部屋の中央にある大きな机の上には、儀式用の道具が山のように積まれている。天井には卑弥呼が書いたのであろう、落書きの様な色とりどりの絵が描かれ、焚かれている香の匂いと相まって、異空間を作り出しているかのようだ。
「しかし、佐和の字。あんたも面白いことを言うじゃないか・・・アタシの婚儀にしちまうってのかぃ・・・なかなか、私の趣に入るわよ」
佐和彦の顎を摘みあげると、触れるか触れないかと言うほど顔を近づけ、艶やかな表情を作って佐和彦にささやく。
佐和彦の意識が健在ならば、大興奮マチガイナシの場面であるが、残念なことに当の相手によって、その意識は刈り取られたばかりであった。
数分前の出来事である・・・
「思い出した!」
突然建物中に響き渡ったその声の主は、鮮やかな黒髪に意志の強そうな顔立ちの女性だった。卑弥呼である。
「くそ〜あのババァ・・・転生か何かしやがったわね・・・」
卑弥呼の言う『あのババァ』とは、凪と名乗る稚武彦と近々結婚する女性のことのようだ。
「なぁ〜にが「凪」とか名乗って、「暴風」の間違いだろうに!」
数年前のことだが、邪馬台国の近隣に数多の新興国が突然出現し、四方八方から攻め込まれた事があった。
あまりの乱戦のため、情報が錯綜していた中、相手側の総大将であった嵐鹿(らんか)を稚武彦率いる精鋭部隊が見事討ち取ったと言う報が入り、幸いな事に、死者を出すことも無く事なきを得たのだった。
「間違いない、アノ雰囲気、アノ目、アノ嫌味・・・この結婚、絶対に止めないと!大変な事になるはずだわ!」
卑弥呼があわてて部屋を出ようとしたとたん、入り口に人影が現れた。
「な!あんた・・・」
「あらあら、お急ぎのご様子で。お局・・・卑弥呼様。御年がいも無く、大きな声をお出しでらっしゃったので来てみたんですよぉ・・・何を思い出されたのですか?」
そこには、満面の笑みを浮かべる凪の姿があった。卑弥呼は全身に緊張を走らせ、相手の出方を覗う。『思い出したって言葉が、聞こえちまったのか、それとも探りなのか・・・』卑弥呼は心の中で考えを巡らせる。
「見た目と違って御年なのですから、突然動くと関節をいためますよぉ☆」
かんに障る言葉使いと内容だったが、卑弥呼は聞き流し、凪を睨みつける態度を変えない。
「私、凄くキレイになったと思わないですかぁ☆」
凪の目が、笑顔のまま鋭い光を放った。
「やっぱり嵐鹿なのね!なんで今更あんたが出てくる!」
卑弥呼が確信を得た事により、一気に詰め寄り、凪の襟元を掴む。
「いたぁぃ・・・☆☆☆三ツ星!うふ」
「アンタのお遊びのせいで、邪馬台国がどんな目にあったと思っているんだい!」
卑弥呼は数年前の戦いが、まるで目の前に広がっているかのような眼差しで凪を睨む。
「え〜・・・だって、暇だったんですものぉ☆」
儚げな見た目とは裏腹に、凪は軽く卑弥呼の手を払い退けた。
「暇だったらあんなことしていいと、思っているのかい!」
そう、数年前の戦いは嵐鹿の気まぐれで起きたものだったのだ。嵐鹿側の兵士は、鬼道で作り上げた傀儡であった。
「誰も死んでないしぃ、お婿さんも見つかったしぃ、いいじゃないですかぁ♪」
「死者の数じゃない!建物の被害を考えな!それに、お婿なんて見つけてる暇・・・お婿ぉ・・・はぁ?」
卑弥呼は、あいた口がふさがらないと言った表情で凪を見つめる。
「強いくてカッコイイ人が見つかったしぃ、がんばった甲斐がありましたぁ♪」
「ちょっとまて!そのお婿ってのが稚武彦なのかぃ・・・」
その時、こちら側に向かって走ってくる大きな音が廊下に響き渡ってきた。
「卑弥呼ぉぉぉ!はっはっはっは!」
満面の笑みをたたえた佐和彦である。凪と卑弥呼が佐和彦のほうを必然的に向く。
「お客様みたいですね☆お姉さま♪」
その言葉で、凪に向き直った卑弥呼の視界に、凪の姿はなかった。
「ちょっとまっ・・・ちぃぃ!」
卑弥呼の顔が、今までに無いくらい不機嫌さをあらわにして、佐和彦にむけられた。その形相、般若のごとく・・・
「ひっぃっぃっぃ!」
佐和彦の脳内危険探知機の針が振り切ったのか、人のものとは思えない奇声が口から漏れる。その直後、卑弥呼の鮮やかな蹴りが佐和彦の顔面を捉えたことは言うまでも無い事だった・・・
〜割り箸的国語辞典〜
凪:陸地と水辺の温度が同じになり、風が無い様子。