大神殿に祭られたご神体の御前で、邪馬台国の女王であり、祭事における最高位の巫女でもある卑弥呼が、静かに祈りを捧げている。

 彼女の背後には、着飾った男女が一人ずつ、頭を下げ、ひざまずいてかしこまっていた。

 広い、広い、大神殿の中にいるのは、その3人だけ。大神殿の前にある大広場には、国中のすべての者が集まったのか、人々に埋め尽くされて、地面の色が何色なのかわからないほどだ。

 だが不思議と、それだけの人が集まっていながら、大広場は静かであった。皆、大神殿を見つめて待っているのだ。

 卑弥呼によって神の祝福を受けた婚礼の儀を終えて、花婿と花嫁が出てくるそのときこそ、盛大な祭りの始まりなのだ。

 その時まで、人々は神妙に待ち続けているのである。


「二人とも、立ちなさい」

 ご神体に向けて祈っていた卑弥呼は、控えていた花婿、花嫁に振り返った。

「これより、誓いの儀を執り行う」

 いつにもまして、厳かな卑弥呼。彼女の促すとおりに、花婿―――稚武彦と、花嫁―――凪は立ち上がると、まっすぐに顔を上げた。

 花嫁である凪は、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべて、卑弥呼を見据えた。対して、花婿である稚武彦は無表情である。

「二人共に、復唱なさい」

 卑弥呼は、凪の挑発的な視線をあえて無視し、誓いの儀に入った。

「『私たちは、病める時も、健やかなる時も』」

 卑弥呼が言ったことを、稚武彦と凪は共に繰り返した。

「「『私たちは、病める時も、健やかなる時も』」」

「『死が二人を別つまで』」

「「『死が二人を別つまで』」」

「『共にあり続けることをここに誓います』」

「「『共にあり続けることをここに誓います』」」

 誓いの儀が、今まさに終わろうとしたその時!

 ばたーん!と激しい音を立てて、大神殿と大広場を隔てていた扉が開かれた。婚儀の真っ最中だった3人が驚いて扉に振り向くと、そこに立っていたのは――――。

「なっ!稚武彦様!?」

 驚愕の叫びを上げたのは花嫁―――凪だった。凪は、扉を蹴り開けて入ってくる稚武彦と、隣に立つ稚武彦を激しく見比べる。

「姉さん・・・・・これはいったいどういうことだっ!!」

 たった今、大神殿に入ってきた稚武彦が憤怒の形相で実の姉を睨みつける。普段、卑弥呼が何をしようと、呆れはしても怒る事のない稚武彦が、怒り心頭という様子だ。

「ぁ〜ぁ・・・・」

 卑弥呼は、頭が痛いというように、自らの額を左の手のひらで抑えた。

「なに?なに?どういうこと?」

 状況が飲み込めず、凪は未だに二人の稚武彦を見比べ続けていた。

「凪!本物は私だ!そいつは偽者なんだ!・・・・・・いったい・・・・何者だ!?」

 後から入ってきた方の稚武彦が、こんな事態でも無表情に立ち続けている稚武彦に掴みかかった。揺さぶられた花婿の額から、飾りが外れて落ちた。すると――――、

「お・・・お前は・・・・・・佐和彦!?」

 額飾りが外れた途端、今まで稚武彦だった花婿の顔が、佐和彦になったではないか。しかし、無表情はそのままだった。まるで、何者かに意思を奪われているようだ。

「姉さん?これはいったい・・・・・?」

 姉の卑弥呼が、なぜこんなことをするのか。いよいよ信じられなくなり、困惑する稚武彦。そして凪は、

「・・・・くっ!謀ったな!卑弥呼!」

 ようやく事態が飲み込めた凪は、美しい花嫁然とした表情を脱ぎ捨て、蛇のような瞳で卑弥呼を睨みつけた。それはこれまで、稚武彦が一度も見たことのない恐ろしい表情だった。

「やれやれ・・・・・あんたには事が終わってから説明してやるつもりだったのに・・・・・」

 気絶させて、縛り上げて、自室の床下収納に転がしておいたのに、自力で脱出してくるとは困った子だわ。

 そう言いながら、卑弥呼は巫女の衣装を脱ぎ捨てた。

「でも、もう遅い。誓いの儀は終わったわ」

 卑弥呼は凪に対してにやりと笑う。誓いの儀は終わった――――そう、『死が二人を別つまで共にあり続ける』と、誓いは立てられたのだ。

「なぜ・・・・?姉さん・・・・・?」

「だって、その凪って女の正体は嵐鹿よ」

 さらりと告げられた真実に、稚武彦の脳はついていけなかったようだ。

(ランカ・・・?ランカ・・・・ランカランカランカランカランカラン・・・・・)

 『嵐鹿』という名前が、稚武彦の頭の中でぐるぐると回る。そうして――――、

「嵐鹿ぁぁぁああぁぁぁぁ!?」

 大絶叫の後に、凪―――いや、嵐鹿を凝視する稚武彦。

「稚武彦様・・・・・」

 嵐鹿は、正体を明かされても臆することなく稚武彦のそばに寄ろうとした。が、

「ひいぃぃぃいぃいぃいいいぃっっ!!来るなっ!触るなっ!近寄るなぁぁっ!」

 それまで抱えていた佐和彦を突き飛ばし、ものすごい勢いで後退っていく稚武彦。最終的には、卑弥呼の後ろに隠れるほどの恐慌ぶりだ。

「稚武彦様・・・!」

 稚武彦の様子に深く傷ついたのか、顔を曇らせる嵐鹿。

 稚武彦と嵐鹿は数年前の乱戦で、闘いあっている仲だ。その時の様子を、稚武彦は卑弥呼に簡単な報告しか行っていない。深く追求しても、思い出したくないのか、頑なに拒まれていたが、その様子から何となく察するものがあったので、凪の正体を知れば、こうなることは予想できた。

 だが、婚礼の儀を今更取りやめることも出来なかった。王族の婚儀である。周辺の国々にも使者は立ち、祝い品などもたくさん届いていた。

 そこで、先日の佐和彦の勘違いがヒントになり、佐和彦を身代わりとして、婚礼の儀を執り行ったのである。

「誓いを立てた以上、なかったことにはできないよ。今日からあんたは、佐和彦と夫婦だ」

 卑弥呼は勝ち誇った笑みを漏らす。

「私は・・・・・私は・・・・・稚武彦様と結婚したいのよっ!誰がこんな腑抜けた男とぉぉぉおお!!」

 逆上した嵐鹿は、隠し持っていた短剣を抜き放ち、未だ茫然自失としている佐和彦に襲い掛かった!

 夫婦を別つのは『死』のみ――――。

「あ!しまった!」

 今の佐和彦は、操り人形も同じである。これではやられてしまう!

「佐和彦!」

 卑弥呼の後ろで震えていた稚武彦も、慌てふためいた。

 二人の眼前で、嵐鹿の短剣が佐和彦の胸に突き立てられ――――ようとした寸前、短剣を持つ嵐鹿の手をはたき、その腕をねじり上げる者がいた。それは、襲われた佐和彦本人だった。

「何をするんだ、危ないじゃないか」

 表情はまだ無に近かったが、その目にはうっすらと自我が見て取れた。卑弥呼が佐和彦にかけていた術が、間一髪のところで切れたのだ。

 どこか凛とした様子の佐和彦を間近で見た嵐鹿は呟いた――――。

「ステキ・・・・・」