卑弥呼が稚武彦の横を通り過ぎ、民衆の待つ大広場へと向かう。内開きの開け放たれた大扉の外からは民衆のざわめきが聞こえる。

ご神体から真っ直ぐに続くその大扉へ、凪と佐和彦が粛々と歩みを進めてくる。稚武彦はその姿をただただ見守っていた。

『稚武彦さま・・・』

開け放った大扉の横に立つ稚武彦の横を、凪の姿をした嵐華と術によって幻術に浸っている佐和彦が通り過ぎようとした瞬間、稚武彦の心に寂しげな、それでいて懐かしい声が響く。

「・・・凪・・・」

稚武彦の脳裏に凪と出会った日の事が思い出される。あれは確か、稚武彦が邪馬台国の武術大会で初めて『大武』の称号を与えられた時・・・!!!

「ちょっとまったぁぁ!」

稚武彦は思い出したのだ、凪と出会ったのは、嵐華と戦うよりずっと以前の事だったことを。自ら開け放った扉を力の限り閉ざす。卑弥呼はすでに扉の外に出てしまっており、建物の中には稚武彦と嵐華、そして微妙に痙攣を始めている佐和彦の三人が残される。内開きの大扉であったため、卑弥呼を思いっきり扉板で弾き飛ばしたような手ごたえを感じるが、今はどうでもいいことだ。

突然目の前で扉を閉ざされた嵐華が、驚きの声を上げ稚武彦を見る。

「稚武彦さま、何を!」

「何をじゃない!本物の凪をどこへやった!」

稚武彦の眼差しが鋭く嵐華を見据える。数秒の沈黙の後、きょとんとした表情を浮かべていた嵐華の目に鈍い光が宿る。

「ふ〜ん・・・流石、私が一度は見込んだ男ね・・・」

嵐華の声に低いトーンが混ざり、雰囲気も荒々しいものへと変わる。隣の佐和彦は口の端から泡汁を流し始め、何事かぶつぶつと呟いている。相変わらず、うつろな表情に薄ら笑いという不気味な表情だ。

「キモイな・・・」

その表情が目の端に入ってしまった稚武彦は、思わずそちらの感想を口走ってしまった。

「キモイ・・・ですって!この私を!!」

何を勘違いしたのか、嵐華が怒りの声を上げる。嵐華は、侮辱される事を何よりも嫌う性格をしている。

「いや・・・違っ・・・!!」

「キモイと言ったこの体は、正真正銘あんたの凪の物なのよ!」

怒りのあまり口走ったその言葉は、稚武彦の最初の問いに答える形になった。

「やはりそうか!」

「いや・・・間違え・・・あらw」

稚武彦の顔が真剣な表情を取り戻す。嵐華は、不意に答えを教えてしまい、誤魔化そうとするが手遅れである事を悟る。

「私がこの子の体を乗っ取る以前の思い出なんて、気持悪いから消し去ってあげていたのに。よくもまぁ、私の鬼道を打ち破れたものね」

そう、稚武彦の愛した凪は、こんな子ではないのだ。純粋で、可憐で、優しい笑顔の・・・稚武彦は、術をかけられていたとはいえ、中身のちがう凪と供に過ごしていた自分に怒りを覚える。

「・・・凪の魂はどうなっている」

恐ろしい質問を冷静にしている自分に、稚武彦自信が驚いている。だが、聞かずにはいられない。

『転生の邪法』で姿かたちを凪に真似ているだけならその様な質問はしないのだが『憑依の邪法』ともなると話は別だ。元々の魂を追い出すか、食らうかしない限り肉体に憑依する事は出来ない。

「さぁ、この前までは、この中で泣きじゃくってたけどぉ」

カラカラと笑いながら、胸元に指をつき立て嵐華は答える。その答えを聞いた瞬間、稚武彦の体が流れるように動く。その口から、詩のような言霊が動きにあわせて流れ出る。

『東より出で、西に入る日輪。命は生まれ、やがて土へ還る・・・』

稚武彦は、剣舞を舞うように動きながら、詩い続ける。しかしその目は一時も嵐華から逸らされることは無い。

「一端の武芸者がこの嵐華様に術でもかけるつもりかしら」

そう言い放ち、高笑いを上げるため、口元に手を動かそうとしたその時、嵐華は自分の体の自由が奪われている事に気付く。

「何!?体が、動かない!?」

嵐華は自分に何が起こっているのか答えを見つけ出そうと、必死に思考をめぐらせる。邪馬台国の武術の舞には、何か意味があった筈だ。自分や卑弥呼の使う鬼道とは全く違う様式。詩を使い『戦勝祈願』『豊作祈願』等の舞を奉納するならわしが存在して・・・

「まさか『自然回帰の舞』とか言うもの!?」

邪馬台国の武術者は、戦いの中、呪詛や幻術に陥った仲間を助けるために『自然回帰』と言う舞いを行なったと言う記憶に、嵐華の思考が行き着いた。

あるがままに、自然のままにその者の精神を回帰させるのがその舞の本質だった記憶がある。
それは、詩と脚捌きによる舞いで、非常に難易度の高い術式であり、今やその舞を使える武術者は存在していないはずである。
扱える者がいなくなった術に興味など無く、嵐華は失念していたのである。

『在るがままの姿に、異質なる変化を払いたまえ!』

その時、稚武彦の舞は完成し、嵐華とその隣で直立のまま泡を吹いてビクンビクンと痙攣している佐和彦は、稚武彦から発さる光に包まれていった。

「いやぁぁぁっぁっぁぁぁぁ!!!」
「うぎぃぃ!ひいいぃっひいいっひっひっひぃっひっひっひ!!」

嵐華と佐和彦の上げる悲鳴と奇声は、大神殿の外まで響き渡った。