俺は、小山の案内で、出入り口の正面にある階段を上り始めた。

薄暗い階段を上りながら、小山は口を開いた。

「二階は下と違って、お惣菜を作っているんですよ。」

「惣菜ですか?障害者の方たちですよね?」

俺は、一階で車椅子に座りながら、お菓子を作っていた障害者の姿を思い浮かべた。

どう考えても無理だろう。彼らは、自分の意志で動かせる手すら、うまく使うことが出来なかったのである。

そんな彼らが、危険な包丁を握って惣菜を作ることが出来るのであろうか?

そもそも、どうやって彼らは、二階へ移動するのであろうか?

そんな疑問を感じている俺の気持ちを悟ったのか、小山はクスッと笑いながら答えた。

「障害といっても、色々幅は広いんですのよ。身体だけの方もいれば、心だけの方もいる。また、その二つの障害を併せ持った方も…」

ああ、それもそうだな。

俺は、一階でお菓子を作っていた人達が車椅子に乗っていたので、作業をしている全員がそうだと思ってしまったのだ。

仮にも、福祉の勉強をしていたはずなのに、馬鹿なことを考えたものだ。

ということは、惣菜を作っているのは、心の障害…いわゆる、知的障害の人達なのだろう。

階段を上りきると、目の前に、ちょっとした会議室ほどの広さのリビングが現れた。

リビングの真ん中には、長テーブルが三台横につながって並べられている。

その真ん中のテーブルで、白衣を着た人が、椅子に座って一生懸命手を動かしている。

「あら、大内さん。何してるの?」

小山はその人物に、声をかけた。

だが、どことなく言い方が冷たい。

「あ、小山さん。今、材料費の計算をしていたんです。」

パッと顔を上げたその人は、メガネをかけた女性であった。

ショートカットで下を向いていたため、俺は最初、男だと思っていたが。

年の頃は二十台後半から三十台前半。細身の身体で、少し頼りなさ気に見える。

しかし…大内と呼ばれたこの女性も、小山に負けず、少々冷たい口調である。

この二人、関係はあまりよくないのだろう。

「そう。間違えないように気をつけてね。そうそう、こちらは中村さん。近いうちに来てもらうことになるわ。」

まるで、ついでのような紹介のされ方だ。しかし、採用はほぼ確定らしい。でも、なぜか安心出来ない自分がいる。

「そうですか。中村さん、始めまして。私はここの主任をしています、大内です。」

大内は、俺に対しては、笑顔でやわらかい声の挨拶をした。

”ドクン”

その笑顔を見た瞬間、俺の心の中で何かが起き上がった。

”あ、しまった・・・ちょっと気に入ったぞ・・・”

俺は、元々ショートカットの女性に弱い。

しかし、いくら弱いからと言っても、すぐに何らかの感情を持つことはないのだが…

先ほど、心を開いたことが原因なのだろうか。

しまったな。まだ完全に、心を閉じきってなかったのかも・・・

「え、あ、ああ…中村です。」

俺は、頭の中が混乱し、よくわからない返事をする。

「じゃ、こちらへどうぞ。」

小山は、早くこの場を去りたいかのように、リビングの奥へ進んだ。

俺は、大内に軽く会釈をすると、小山の後に続いた。

その時に、大内の心の中に潜んでいる、暗い感情が流れ込んできた。

”・・・なんだ…彼がいるのか・・・でも、彼との事で、何か悩んでいるようだな。”

それは、彼女が今一番悩み、苦しんでいる気持ちであった。

”なら、すぐにこの気持ちも消し去ることが出来るな。危ない危ない…”

恋愛感情は、もう二度と持たないこと。

俺は、ある理由から、そう誓っていたのである。

そして、それはずっと守られるものであると思っていた。