「今日は一階でお菓子作りをしていただきます。これを着て、作業室に入ってください。」
「あ、はい。」
託児所の荷物整理も終わり、完全に無職となった数日後、俺はあけぼの作業所で白衣を身に着けていた。
一人暮らしゆえに、料理は多少出来るのだが・・・お菓子作りなんて、やったことはない。
そんなド素人にお菓子を作らせようとするなんて、ここの職員はなんてギャンブラーなんだろう。
「レシピがありますので、難しいことはありませんよ。わからないことがあったら、遠慮なく聞いてください。」
俺のそんな不安を読まれていたのか、作業所の責任者(代表とは別の)である後藤が、俺に笑顔で声をかけた。
この後藤は、俺と同じ年の男性。がっしりとした身体に背も高いが、おっとりとした雰囲気を漂わせている。
しかしその分、どこか頼りなさも感じる。
でも、いくらレシピがあるからって・・・まずいものが出来ても責任は取らないぞ、と心の中で思いつつ、俺は後藤に笑顔で返した。
「えっと・・・このテーブルの仲間と、一緒に作業してもらいましょうか。江藤さん、中村さんに教えてあげてね。」
後藤は、調理場の真ん中にあるテーブルで、作業の準備をしている若い女性に声を掛けた。
「は〜い。じゃあ中村さん、よろしくお願いします。」
江藤と呼ばれた女性は、まだ二十歳前半くらいの若さに見える。
若さ特有のパワーを感じさせ、実際動きもテキパキとしている。
そして、俺好みのショートカット…
”う〜ん、託児所がつぶれて良かったのかも…”
と、俺は思わず不謹慎なことを考えてしまった。
「今は、仲間が作業しやすいように下準備をしています。・・・中村さん・・・?」
俺は、江藤に見とれてボーっとしてしまっていた。
「え?あ、ああ。準備ですね。わかりました。」
俺はハッと我に返ると、慌てて返事をした。
江藤は、俺の返事にクスッと笑いながら、説明を始めた。
「今日は、このお菓子を作ります。レシピを見ながら、材料をこのテーブルに運んできてください。」
俺は、江藤からラミネートされたレシピを手渡され、材料集めをする事になった。
どこに材料が保管してあるのかを聞きながら、俺は小麦粉や砂糖等を、テーブルに置いていった。
「そういえば・・・障害者の方を、仲間って言うんですね。」
大体レシピの材料を集め終えた頃、俺は江藤に声を掛けた。
後藤もそうであったが、ここでは障害者のことを”仲間”と呼ぶらしい。
「ええ、そうですよ。一緒に作業をする仲間ですもの。」
人として、平等であるんだ、という意味があるのだろうが・・・何か引っかかるものがある。
なんで、わざわざ仲間なのだろうか?自分たちと同じように働いているのであれば、”職員”と呼んでもいいのでは…?
ある意味、距離を置いた呼び方に感じる。
だが実習の身であり、障害の世界を全くわかっていない俺である。ここは、大人しく黙っていることにした。
「ふう、準備はこれで終わりました。後は、仲間が来るのを待ちましょう。」
江藤は、ニコッと微笑んで、俺の横を通っていった。
その時、ふわっといい香りが俺の鼻腔をくすぐった。
”ドクン”
一瞬、鼓動が大きくなった。
”おいおい・・・やめてくれよ・・・”
おかしい。また大内に感じていた感情が芽生えそうになっている。
俺は、そんなに惚れっぽかったか?
自問自答をしながら、俺は頭を横に振った。
”参ったな。俺も一応、人だったということか・・・”
自分の本能にショックを受けながら、俺は江藤の後をついていった。
まあ、この時の気持ちは、恋愛感情とは全く別だったことに、後から気付いて一安心したが。
自分も、世の中の男と一緒なんだな、とつくづく思い知らされた出来事であった。